東京地方裁判所 平成9年(ワ)4219号 判決 1999年1月12日
原告
磯崎紳二
被告
笠間昭洋
ほか一名
主文
一 被告笠間昭洋は、原告に対し、金七九五万〇八一七円及び内金七二〇万〇八一七円に対する平成三年九月一日から、内金七五万円に対する平成九年三月一五日から、支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告笠間千代子は、原告に対し、金七九五万〇八一七円及び内金七二〇万〇八一七円に対する平成三年九月一日から、内金七五万円に対する平成九年三月一五日から、支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、二分の一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。
五 この判決は、原告勝訴の部分について、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、連帯して金三三四四万〇七二一円及び内金三〇四四万〇七二一円に対する平成三年九月一日から、内金三〇〇万円に対する平成九年三月一五日から、支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、幹線道路を走行してきた自動二輸車が、右折をしようと左方のガソリンスタンドから車道上に出てきた普通貨物自動車の運転席付近に衝突し、自動二輸車の運転者が負傷し、普通貨物自動車の運転者が死亡した交通事故について、自動二輸車の運転者が、普通貨物自動車の運転者の父母に対し、自賠法三条、民法七〇九条に基づき、損害賠償を求めた事案である。
一 前提となる事実(証拠を掲げないものは争いがない。)
1 交通事故の発生
(一) 発生日時 平成三年九月一日午前八時四六分ころ
(二) 事故現場 神奈川県足柄上郡大井町金子一六二八番地先
(三) 事故車両 笠間敏宏が運転していた普通貨物自動車(相模四五と四五四八、以下「笠間車両」という。)と、原告が運転していた自動二輸車(相模み三六一二、以下「原告車両」という。)
(四) 事故態様 事故現場に直進してきた原告車両が、路外から右折しようと車道上に進入した笠間車両に衝突した。
(五) 結果 笠間敏宏は本件事故当日に死亡し、原告は、右下腿解放粉砕骨折、右上腕骨開放骨折、両前腕骨骨折、両手関節脱臼骨折、右外傷性気胸、右第三ないし第七肋骨骨折、右橈骨神経麻痺、右四・五指末節骨骨折、右第四指植指変形の傷害を受けた。
2 入通院の経過及び自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)による後遺障害の認定
(一) 原告は、1(五)の傷害により、県立足柄上病院において、次のとおり、平成三年九月一日から平成六年九月七日までの間に、二二八日間の入院治療と実日数一五七日の通院治療を受けた(甲二の1~19、三の1~20)。
(1) 入院 平成三年九月一日から平成四年二月二七日(合計一八〇日)
(2) 通院 平成四年二月二八日から平成五年一月六日(実日数一二四日)
(3) 入院 平成五年一月七日から同年一月二五日(合計一九日)
(4) 通院 平成五年一月二六日から同年三月九日(実日数五日)
(5) 入院 平成五年三月一〇日から同年三月二四日(合計一五日)
(6) 通院 平成五年三月二五日から平成六年四月二六日(実日数二二日)
(7) 入院 平成六年四月二七日から同年五月一〇日(合計一四日)
(8) 通院 平成六年五月一一日から同年九月七日(実日数六月)
(二) 原告は、平成六年九月七日に症状固定の診断を受け、自動車保険料率算定会平塚調査事務所より、後遺障害として、右脛骨の変形癒合が自賠法施行令二条別表第一二級八号の「長管骨に奇形を残すもの」に、右第四指DIPの機能障害が同表第一四級八号の「一手のおや指及びひとさし指以外の手指の末関節を屈伸することができなくなったもの」に、右橈骨神経領域の痺れ、右脛骨の変形癒合による膝つき時の疼痛が、いずれも同表第一四級一〇号の「局部に神経症状を残すもの」にそれぞれ該当し、併合して上位等級の第一二級八号を適用する旨の事前認定を受けた(甲四、五、弁論の全趣旨)。
3 相続関係
被告らは、笠間敏宏の両親であり、笠間敏宏が死亡した当時相続人であったもので、他に相続人は存在しない。
4 既払金
原告は、被告らから、本件事故に基づく損害賠償として、七六三万三七四二円の支払を受けた。
二 争点
1 責任原因・渦失相殺
(一) 原告の主張
笠間敏宏は、笠間車両を運転し、路外のガソリンスタンドから右折して車道に進入する際、ガソリンスタンドの出口横には、ブロック塀が存在して見通しが悪いにもかかわらず、右方をまったく注意せず、かつ、歩道上あるいは車道外側線の手前で一時停止することなく車道上に進入し、本件事故を発生させた過失がある。原告車両は、制限速度である時速五〇キロメートル以内で走行していたもので、事故現場は幹線道路であるから、原告の過失があるとしても、せいぜい五パーセントである。
(二) 被告の主張
笠間車両は、ガソリンスタンドから右折しようとする際、車両の先端を車道外側線上に出して停止して待機していた。この地点は、原告から極めて見通しがよい場所である。事故態様は、笠間敏宏が、二、三台の走行車両の通過を待って笠間車両を徐々に車道上に発進させたところ、原告車両が、右方から時速七一キロメートルから七四キロメートルの速度で進行し、笠間車両に衝突したものであるから、原告の過失割合は五〇パーセントを超える。
2 逸失利益を中心とした各損害額
第三争点に対する判断
一 責任原因・過失相殺(争点1)
1 前提となる事実及び証拠(甲一二、乙一、二、四、六、八の1~9、九、原告本人)によれば、次の事実が認められる。
(一) 事故現場は、松田町方面(北方向)から小田原市方面(南方向)に走る国道(以下「本件道路」という。)の小田原市方面に向かう車線上で、本件道路の東側に存在する相原興業大井給油所(以下「本件ガソリンスタンド」という。)の出入口から車道に出た地点である。本件道路は、両側三車線の平坦なアスファルト道路であり、事故現場付近は直線で見通しが良く、道路中央部分にゼブラゾーンが存在する。ゼブラゾーンから南側は、小田原市方面に向かう車線が二車線で、松田町方面に向かう車線が一車線であるのに対し、ゼブラゾーンから北側は、小田原市方面に向かう車線が一車線となり、松田町方面に向かう車線が二車線となっている。車道内には、東西にそれぞれ車道外側線が引かれており、事故現場付近には、東側の車道外側線からさらに一・九メートル東側に高さ二五センチメートルの縁石によって区別された幅員一・二メートルの歩道が存在し、本件ガソリンスタンドの出入口の北側には、歩道の東端に沿ってブロック塀が設置されており、以上の概況は別紙交通事故現場見取図(以下「本件図面」という。)のとおりである。
事故当時、事故現場付近は、路面が乾燥しており、最高速度は時速五〇キロメートルに制限されていた。なお、交通量は比較的多かった。
(二) 原告は、事故当時、原告車両を運転して小田原市方面に向かって走行し、事故現場から約一〇〇メートルほど北側に存在する交差点(以下「北側交差点」という。)で、赤信号に従って先頭で停止した。その際、軽四輪自動車も並んで停止しており、信号が青色に変わったので発進した。発進して約四〇メートルほど進行したところで軽四輪自動車との差を広げたので、ややセンターライン寄りに進路を変更してそのまま進行した。
他方、笠間敏宏は、助手席に大塚尚輝を同乗させて笠間車両を運転し、本件ガソリンスタンドの出入口から右折して本件道路に進入しようと考え、笠間車両前部が歩道上に来た地点で一時停止した。助手席の大塚尚輝は、もっぱら左側の南方向を注意しており、笠間車両は、松田町方面に右折をするため本件道路に進入した。
(三) 原告は、時速約六〇キロメートルから七〇キロメートルほどで進行し、本件ガソリンスタンドの出入口付近に近づいたところ、約一七メートル先に東側の車道外側線付近まで出てきた笠間車両を発見した。原告は、ハンドルを右に切って衝突を回避しようとしたが、さらに二・八メートル進行した笠間車両の運転席ドア部分に衝突した。これにより、笠間車両の運転席ドア部分には最大四五センチメートルの凹損が生じた。なお、衝突後、被害車両の変速機のギアの位置は、三速となっていた。
2 この認定事実に対し、原告は、本人尋問において、事故後、被害車両の変速機が三速の状態にあったと警察官に聞いたので、そうだとすれば、被害車両の速度は時速五〇キロメートルほどであったと思うと供述し、原告作成の平成九年七月一六日付け陳述書(甲一二)にも同趣旨の記載がある。
しかし、この供述内容は、事故後の変速機の状態からの推測にすぎない。また、原告は、自動車保険料率算定会平塚調査事務所に対する回答書においては六〇キロメートル位と回答している上、北側交差点からともに発進した軽四輪自動車との差を、わずか約四〇メートルほど走行した地点ですでに広げていたこと、衝突した笠間車両の運転席ドアには、四五センチメートルもの凹損が生じたことなどの事情を総合すると、原告が、制限速度である時速五〇キロメートルほどで走行していたことには疑問があり、原告の供述及び同趣旨の陳述書の記載内容は、直ちには採用できない。もっとも、原告作成の平成一〇年一一月一七日付け陳述書(甲一八)には、真実の速度は時速五〇キロメートルくらいであったが、自賠責調査事務所への回答書には、自賠責保険から被告らに対し満額の支払がなされるように、それよりも速い速度を記載した旨の記載がある。しかし、原告は、本人尋問において、被告ら訴訟代理人から、右の回答書に時速六〇キロメートルと記載したことを確認された際、「そうですね。」としか答えておらず、しかも、時速五〇キロメートルであったこともはっきりしないと供述しており(質問に対する答えとしては的確なものではあるが、反対尋問であるから、真実の速度より速い速度を記載したのであれば、その点をも説明する方が自然といえる。)、これと対比すれば、右の陳述書の記載内容は採用できない。
また、原告は、本人尋問において、笠間車両は、本件ガソリンスタンドからいきなり出てきたので一時停止をしていないと思うと供述し、原告作成の陳述書にも同趣旨の記載がある。
しかし、本件道路沿いには、本件ガソリンスタンドの北側にブロック塀が存在していて、原告が認識する前の笠間車両の動向は、必ずしも、原告車両の位置から認識しやすいとはいえない。原告は、事故現場から二〇メートル以内まで接近した際に笠間車両の動向を認識したにすぎない。そうすると、それ以前の笠間車両の動向についてはあくまで推測の域を出ないということができる。また、加害車両に同乗していた大塚尚輝は、本件道路に進入する前に一時停止をしたと説明しており(乙一、四)、本件道路を右折しようとした加害車両の動向としては一応合理性はある。
これらの事情に照らすと、原告本人の供述及び陳述書の記載内容は採用できない。
3 1の認定事実によれば、笠間敏宏は、笠間車両の停止位置が手前に過ぎ、本件ガソリンスタンドの北側に存在するブロック塀に視界を遮られたか、あるいは、左方向(南方向)からの車両に気を取られたために、右方向(北方向)の確認が不十分なまま(原告車両に気がつかなかったか、原告車両を認識したが速度の予測を誤った。)本件道路に進入したものと推認するのが相当である。したがって、笠間敏宏には、本件ガソリンスタンドから本件道路に進入し右折をするに際しては、左右からの車両の動向を十分確認して本件道路に進入する注意義務があるのに、これを怠り、右方向(北方向)の車両の存在または動向を十分確認することなく本件道路に進入した過失がある。
他方、原告も、制限速度を遵守し、前方を十分注意して走行する注意義務があるのに、これを怠り、制限速度を一〇キロメートルから二〇キロメートル上回る速度で進行し、笠間車両が車道外側線付近に出てくるまで笠間車両の存在に気がつかなかった過失がある。
これらの過失の内容、本件事故の態様などの事情を総合すると、本件事故に寄与した原告の過失割合は、二〇パーセントとするのが相当である。
二 各損害額(争点2)
1 治療関係費(請求額六五万一一二〇円) 六五万一一二〇円
原告は、県立足柄上病院における入通院治療において、治療関係費用として合計六五万一一二〇円を負担した(争いがない。)。
2 入院雑費(請求額三一万九二〇〇円) 二九万六四〇〇円
原告は、県立足柄上病院に合計二二八日間入院したので、入院雑費としては、一日当たり一三〇〇円の二二八日分で二九万六四〇〇円を相当と認める。
3 付添看護料(請求額七三万二〇〇〇円) 五二万二〇〇〇円
原告は、平成三年九月一日から同年一二月三一日までの間、付添看護を要し、その間、原告の母親が合計八七日付添看護をした(甲二の1~3、一八)。
原告作成の平成一〇年一一月一七日付け陳述書(甲一八)には、原告の母親が毎日付添看護をした旨の記載がある。しかし、原告が、笠間敏宏が契約していた保険会社である東京海上火災保険株式会社に対して提出した付添看護自認書には、付添実日数が八七日と記載されていること(甲一八)に照らすと、右の陳述書の記載内容は信用できない。
したがって、付添看護料としては、一日あたり六〇〇〇円の八七日分の五二万二〇〇〇円を認めるのが相当である。
4 通院交通費(請求額一二万四五八〇円) 一二万四五八〇円
原告は、入院の際の往復三・五回(乙一号証及び弁論の全趣旨によれば、事故当日に入院した際は、救急車により搬送されたと認めることができる。)と通院実日数一五七日を加えた一六〇・五日のうち、一六〇日間について交通費を負担し、当初の一六日分については、タクシーを利用して総額四万六八二〇円、その余の一四四日については、バスを利用して一往復あたり五四〇円の合計七万七七六〇円を負担した(甲一八、弁論の全趣旨)。
5 休業損害(請求額一三一八万五一八五円) 一二七八万五一三八円
(一) 前提となる事実に加え、証拠(甲六の1~30、甲七の1~6、一一の1・2、一二、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。
(1) 原告は、事故当時、株式会社ミクニ・ピットインで板金士として勤務していた。原告は、事故直前の平成三年六月から八月までの三か月間に、合計一一〇万三五五三円(月額平均三六万七八五一円)の収入を得ていた。原告は、平成元年八月にミクニ・ピットインに入社して板金部門の見習いをして手取りで一八万円程度の給与を得ていた程度であったが、平成二年七月に増員された板金部門の現場のトップになり、平成二年度は年間三六八万四五二九円の収入を得た。平成三年は同年九月一日に本件事故に遭ったため、その後は勤務していないが、同年一二月一〇日に支給された三五万五九一九円の平成三年度冬季賞与(平常に勤務していれば支給される五二万五〇七四円から、事故後の欠勤を理由に一六万九一五五円を減額した額)を含めて年間四二六万〇〇三〇円の収入を得た。なお、平成四年上期賞与は、平常に勤務していれば、四二万九六〇六円が支給されたはずである(ただし、支給計算の根拠となる基本給は、平成三年より六七〇円高い)。
(2) 原告は、その後の入通院治療で、欠勤を続けていたが、平成五年五月ころから、復職した。しかし、長期の療養をしていたため、退職して再雇用するとの扱いとなった上、まだ、症状固定にもなっていない状態であったために従前と同様には働くことができなかった。こうしてミクニ・ピットインで勤務を続けたものの、平成六年九月七日の症状固定後である平成六年一一月三〇日に同社を退職した。この間、平成五年には年間一五八万七一三六円、平成六年には年間(ただし、同年一一月まで)二四五万〇三二六円しか収入を得ることができなかった。なお、原告は、平成四年にも、勤務内容は明らかでないが、ミクニ・ピットインから一万八〇〇〇円の収入を得ている。
(二) この認定事実によれば、原告は、事故当時、事故直前の三か月の平均収入月額である三六万七八五一円の一二か月分である四四一万四二一二円に、平常に勤務していれば支給されるべきであった平成三年冬季賞与五二万五〇七四円、平成四年上期賞与四二万九六〇六円を加えた年間合計五三六万八八九二円を下らない収入を得ていたと認めるのが相当である。
そうすると、原告は、本件事故に遭わなければ、事故当日である平成三年九月一日から症状固定日である平成六年九月七日までの一一〇三日間に、年間五三六万八八九二円の割合による収入を前提にして、一六二二万四三五〇円(一円末満切り捨て)の収入を得ることができたということができる。ところが原告は、負傷内容や人通院のために、現実には、平成四年の一万八〇〇〇円、平成五年の一五八万七一三六円、平成六年の一八三万四〇七六円(平成六年一一月末日までの三三四日間で得た二四五万〇三二六円の収入を前提に、同年九月七日の症状固定までの二五〇日間分を算出した額)を加えた三四三万九二一二円の収入しか得ることができなかった(平成三年冬季賞与として支給を受けた三五万五九一九円については、本件事故前の勤務に対する賞与であるから、これは含めない。)。
したがって、原告の休業損害は、その差額である一二七八万五一三八円となる。
6 逸失利益(請求額一二二二万四三一九円) 五六一万一八〇九円
(一) 証拠(甲四、七の6、一〇、一二、一四、一五の1・2、一六の1・2、原告本人、各調査嘱託の結果)によれば、次の事実が認められる。
原告(昭和三三年六月二七日生)は、平成六年九月七日、県立足柄上病院において、右橈骨神経領域の痺れ、右脛骨の変形癒合による膝つき時の疼痛、右第四指DIPの関節機能障害、右前腕回外制限(自動、他動ともに健側の半分)、右指・右手関節の伸筋筋力の低下によるボタン押しなどの不都合などの障害が残存し、症状が固定した旨の診断を受けた。原告は、この後遺障害のために、自動車の分解組立作業に必要なボルトやビスなどを回すことや、自動車などのガラスの開閉をすることができなくなり、事故以前よりも作業時間がかかるようになった。自動車の部品の中に手を入れると金属プレートの部分に当たって痺れがひどくなったり、腰を低くした姿勢で作業をするとすぐに疲れたり、また、ワープロのキーボードなどもうまく打てなくなった。日常生活においても、右手で歯を磨くことができないとか、照明器具などのボタンのスイッチがうまく押せないとか、自動販売機のお釣りを取ることができないなどの支障がある。
原告は、ミクニ・ピットインに復職後も、板金士としての仕事が十分にできなかったため、平成六年一一月に同社を退職した。その後、同年中に車検センターとして業務を行っているカーセンター足柄協同組合で勤務するようになったが、板金士としての仕事が十分にできないため、見積書や売上伝票の作成を主に行うようになった。ところが、平成一〇年になって、数名の板金士が退職したことから、再び板金士としての仕事をするようになった。カーセンター足柄協同組合での平成七年の収入は、年間五〇七万三五〇七円であった。
(二) この事実及び前提となる事実(一2(二))によれば、原告の後遺障害のうち、自算会調査事務所から第一二級八号の認定を受けた右脛骨の変形癒合は、腰を低くした姿勢での作業に若干の影響を与えているようであるが、労働能力への影響は、むしろ、第一四級に認定された右橈骨神経領域の痺れ及び右第四指DIP関節(末関節)機能障害や、右前腕回外制限(自動、他動ともに健側の半分)、右指・右手関節の伸筋筋力の低下の方が大きいということができる。そして、これらの事前認定における等級の程度、種類(機能障害と神経症状の複数にわたる。)、労働における影響の内容に加え、現実に、本件事故から四年を経過した時点での収入が、事故当時に得ていたと認められる収入と比較して五パーセント以上減少していることを総合すれば、原告は、症状固定時である三六歳から一〇年間は一〇パーセント、その後六七歳までの一二年間は五パーセントの限度で労働能力を喪失したものと認めるのが相当である(労働内容は、将来的にはある程度の変動可能性を否定できないのであるから、平成七年の収入が、一〇パーセントまで減少していないからといって、右の認定の妨げにはならない。)。
もっとも、被告らは、骨盤骨の変形などが労働能力に影響がないことを例に挙げ、脛骨の変形癒合は労働能力に影響がないと主張する。しかし、労働能力への影響に関し、脛骨は、その部位に照らして骨盤骨などと同様に理解するのは相当とはいえないし、右に認定したように、現実に労働能力への影響は否定できないのであるから、この主張は採用できない。
また、被告らは、右第四指DIP関節(末関節)機能障害は、他の指で代償したり、DIP関節が動かなくてもPIP関節(中関節)で代償することも可能であり、これらの習熟期間として三年を見ておけばよいことなどを理由に、第一四級に相当する労働能力喪失が三年間程度継続するにとどまると主張し、これに沿う証拠(乙三)も存在する。しかし、関節機能障害について、ある程度、他の関節機能で代償することに習熟してくることは否定できないとしても、それが三年程度でまったく支障がないほどになる根拠が明らかでないし、原告は、現実に、事故から三年を経過した時点においても、現実に減収が存在していたのであるから、PIP関節で代償することに三年で習熟する点については、ただちには採用できない。また、右に加え、そもそも、脛骨の変形が労働能力に影響を及ぼしていることは先に述べたとおりである上、橈骨神経領域の痺れや脛骨変形による膝つき時の疼痛も労働能力に影響を及ぼしていることに照らすと、第一四級に相当する労働能力喪失(五パーセント喪失したとの趣旨と理解できる。)が三年間程度継続するにとどまるとの主張も、ただちには採用できない。
(三) 原告は、事故当時、平成三年賃金センサス産業計・男子労働者・学歴計三〇歳から三四歳の平均収入である年間四九二万二七〇〇円を超える収入を得ていたものと認められるから、本件事故に遭わなければ、症状固定時である三六歳から六七歳まで、平成六年賃金センサス産業計・男子労働者・学歴計の全年齢平均である年間五五七万二八〇〇円を下らない収入を得たものと認めるのが相当である。そして、これを基礎収入とし、ライプニッツ方式により中間利息を控除すると、五六一万一八〇九円(一円未満切り捨て)となる。
5,572,800×{0.1×(9.3935-2.7232)+0.05×(16.1929-9.3935)}=5,611,809
もっとも、原告は、平成七年賃金センサス産業計・男子労働者・学歴計の全年齢平均である年間五五九万九八〇〇円を基礎収入とすべきであると主張するが、本件全証拠によっても、症状固定の翌年の男子全年齢平均の賃金を得ることができたと認めるには足りないから、この主張は採用できない。
7 将来の抜釘手術に伴う損害(請求額 抜釘手術費を含めた入通院治療費の自己負担分、休業損害、通院交通費、入院雑費、抜釘手術に伴う入通院慰謝料の合計四〇四万五三六〇円)認められない(ただし、後記8の慰謝料で考慮)
(一) 原告は、将来、右上腕骨抜釘術が必要であり、そのために、一週間の入院と、六か月程度のリハビリ治療が必要であるとして、健康保険を使用した場合の入通院治療費の自己負担分一〇万円、休業損害二七六万一五六〇円、通院交通費二万四〇〇〇円、入院雑費九八〇〇円、慰謝料一一五万円を請求する。これに対し、被告らは、抜釘手術は不要であるし、仮に、原告の強い希望で施行されたとしても、必要とされる入院期間やリハビリ期間はもっと短いと主張する。
(二) 証拠(甲一六の1・2、乙七、平成九年一〇月二四日付け調査嘱託の結果)によれば、上腕骨の金属プレートは抜釘するのが原則であるが、抜釘しなくてもよいこと、骨癒合したころには、プレート周囲の瘢痕中の橈骨神経を損傷してしまい、麻痺が増強する可能性が多いこと、抜釘をすると、ねじ穴が数か月から一年くらい残存し、そこから再骨折を生じる可能性があること、抜釘手術をした場合、橈骨神経麻痺の有無にもよるが、おおむね三日から二週間程度の入院と、二週間から三か月程度の休業が必要であること、抜釘手術には、健康保険を利用した場合の自己負担分として、一〇万円から二〇万円程度の費用がかかること、抜釘手術をするか否かは決まっていないものの、原告は、抜釘手術を望んでいることが認められる。
(三) この事実によれば、抜釘手術は、橈骨神経麻痺の増悪や再骨折の危険などを伴うものであり、必ず施行しなければならないものではない。もっとも、原告は、このような危険を十分理解した上でのものか明らかではないものの、手術を希望しているから、抜釘手術が将来施行される可能性は比較的高いといえるが、施行が確定しているわけではない。のみならず、手術の時期はもちろん、入院期間やその後の休業期間は、神経麻痺の増悪の有無によって相当に差があり、手術費用も含めて極めて大まかなものである。そうすると、手術費用、入院雑費、休業損害、通院交通費の認定や、中間利息の控除も困難であるといわざるを得ない。
したがって、抜釘手術の施行に伴う将来の損害を独立の損害項日として認めるのは相当でなく、むしろ、この点は、将来抜釘手術をする可能性があり、それを施行すれば、手術に伴う危険や、右の各種の損害が発生する(しかも、手術の結果如何によっては、相当の額になる可能性がある。)との不安感を有する状態にあるものとして、慰謝料の算定にあたり斟酌すべき事由として考慮するのが相当である。
8 慰謝料(請求額六二〇万円) 七〇〇万円
原告の負傷内容、入通院の経過、後遺障害の部位、程度、内容、及び将来において、抜釘手術をする可能性が比較的高いことや、手術をした場合の危険や、手術費以外にも休業損害等の損害(しかも、手術の結果によっては、増大する可能性がある。)が生じる不安感など、一切の事情を考慮すると、慰謝料としては、七〇〇万円(入通院につき三〇〇万円、後遺障害につき二七〇万円、将来手術関係につき一三〇万円)を相当と認める。
なお、認定した慰謝料の額は、原告が請求する金額を超えるものであるが、原告が将来手術費関係として請求しているものを慰謝料として考慮した結果であり、本来請求する慰謝料に、この将来手術に伴う損害として請求している額を加えた額を超えるものではない。
9 車両損害等(請求額五九万二六九九円) 五五万三一七五円
証拠(甲一八)によれば、原告車両は、昭和五三年に登録されたカワサキKZ七五〇Dであり、事故当時は、プレミアムが付いて、少なくとも時価五〇万円は下らなかったこと、原告が事故当時に着用していたグローブとブーツは、平成二年六月に合計三万九六五五円で購入したものであること、同じくヘルメットは、平成三年三月に四万二〇〇〇円で購入したものであること、本件事故により、原告車両は全損となり、原告は、レッカー代として二万三一七五円を負担したことが認められる。
この事実によれば、グローブ、ブーツ及びヘルメットの事故当時の時価は明らかでないが、購入当時の価格及び使用期間に照らして、それを合計三万円とするのが相当と認める。
したがって、車両損害等の物損の総額は、これに、原告車両の事故当時の時価である五〇万円とレッカー代二万三一七五円を加えた五五万三一七五円となる。
10 過失相殺、損害のてん補及び相続
1ないし9の損害合計額は二七五四万四二二二円であるから、本件事故に寄与した原告の過失割合である二〇パーセントを減ずると、過失相殺後の金額は二二〇三万五三七七円(一円末満切り捨て)となる。
この金額から、原告が被告から支払を受けた七六三万三七四二円を控除すると、原告の損害額の残金は、一四四〇万一六三五円となる。
被告らは、笠間敏宏が負担したこの損害賠償債務をいずれも二分の一の割合で相続したのであるから、原告が被告らに対して請求することができる損害額は、各七二〇万〇八一七円(一円未満切り捨て)となる。
11 弁護士費用(請求額三〇〇万円) 一五〇万円
審理の経過、認容額などの事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、一五〇万円(被告らに対して各七五万円)とするのが相当である。
第四結論
以上によれば、原告の被告らに対する請求は、いずれも七九五万〇八一七円と、各金七二〇万〇八一七円に対しては平成三年九月一日(不法行為の日)から、内金七五万円に対しては平成九年三月一五日(訴状送達の日の翌日)から、いずれも支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
なお、原告は、被告らが相続した債務が連帯債務であると主張する。しかし、金銭債権は可分であるから、債務者の相続人がこれを相続したときは、当然に分割債務となると解すべきである。
したがって、原告の主張は採用できない。
(裁判官 山崎秀尚)
交通事故現場見取図